無人島ポスト

大体オタクのひとりごと。

映画『すずめの戸締まり』【fusetter:2022/11/13より】

物語から登場人物から映像から音楽からもう何から何まで全部最高な映画でしたし、ダイジンが「わかる、神様って猫みたいに身勝手で自由なところあるよね」という感じで終始すごく刺さりました。

 

 

映画公開日にわくわくしながら観に行って

 

「鈴芽ちゃんがめちゃくちゃ可愛くて格好良い!」

「草太くんがイケメンで優しくて最高すぎる!」

「ダイジンに加えてサダイジンだと……?!」

「待って待って待って芹澤くんド沼では???」

 

などと騒いでいた心が、物語の終盤(と帰宅後に新海誠本を読んだ後)には

 

「震災の深い傷と、そこへの救いをこんなにも優しく見事に描いた作品を拝見できて私は本当に幸せです(滂沱の涙を流しながら拝む絵文字)

 

という静かかつ感情重めな感想に落ち着いたのですが。

 

それはそれとして1度目の鑑賞から数日経った今、「ダイジンって本当に神様らしい神様だったな」とふと色々考えています。

 

災厄を留めるだけの大きな力を持っていて、けれど人の信仰が無いと弱くなってしまう。

(鈴芽ちゃんや各地の人から可愛がられているときは毛艶が良くふっくらして、逆に鈴芽ちゃんから嫌いだと言われてガリガリになっていたのはそういうことだと解釈してます。)

 

日本に限らずどこの神話でも、神様って案外完璧な存在ではないですよね。

 

ちょっとしたキッカケから特定の人間に入れ込んで、一方的に好意を押し付けたり、自分以外の存在を排そうとしたり。

自由に、身勝手に懐くのは猫のそれに近くて、ダイジンのあの姿は本当に「らしい」なと思いました。

 

ただ、やはり神様はどんなに奔放で身勝手そうであっても、結局人間に寄り添ってくれる存在なので。

 

「スズメの子にはなれなかった」

「スズメの手で元に戻して」

 

鈴芽ちゃんの心に触れて、最後の最後にそう口にして要石に戻ることを選んだダイジンはどこまでも「神様」だったんだなぁと。

 

平穏な日常の中で再会した鈴芽ちゃんと草太くんの幸せなラストを思い返すとともに、じんわりとあの神様の温かさを感じている今日この頃です。

多分しばらく私はこの余韻から抜け出せません。2回目いつ観に行こうかしら……